知的障碍児(者)を見るとき、皆さんはどんな印象をお持ちでしょうか?
何か訳の分からないことをぶつぶつ言いながら歩いていたり、時折奇声を発したり、地面に寝そべってバタバタしていたりといった状態を目の当たりにしたら、何なんだろうと驚いたり、珍しいものを見るように奇異の眼を向けたり、何かされては困ると慌ててその場から離れたりしていませんか?
もちろん、きちんと知的障碍というものをご理解頂いている方は、その行為が障碍によるもので、しばらくすれば(時間の掛かる場合もありますが)治まるということをご存知だと思います。
でも知らなければ、余計な不安や警戒心を持ってしまいますよね?
上記にあげた障碍による行動例はある一部ですが、いずれもパニックを起こすことによって発してしまう行動で、簡単に言えば、皆さんの感情が高まって涙が出たり、怒りが爆発して怒鳴ってしまうのと同じです。
ただ、知的障碍の子供たちは、自分の感情を上手くコントロールしたり表現することが苦手なので、心に湧きあがった気持ちをどう処理していいのか自分でも分からずに行動してしまうのです。そして、その子その子による様々な行動パターンを取ることになるのです。
ですから、同じ要因でパニックを起こしたとしても、その行動は各人によって違います。その場にいたたまれずに突然走り出す子もいれば、逆にその場で石のように立ちすくんでどんなに押しても引いても動かなくなる子もいます。自分の中に湧き上がった感情を奇声によって発散しようとする子もいれば、自分を傷つけてしまう自傷行為に及ぶ子もいます。
また、一人の子供が同じ要因でパニックを起こしても、時と場所によってその行動が異なる場合もあります。
でも皆さんだって、自分を傷つけるようなことを同じように他人から言われても、あまり気にならない時もあれば、とても傷つく時もあるでしょう? または、仕事で同様のミスをした時でも、とても落ち込む日もあれば、明日は頑張ろうと前向きになれる日もあるはずです。
それと同じなのです。彼らだって毎回感じ方が同じというわけではないのです。だからこそいくつもの問題行動を抱える子供も出てきてしまうのです。
では、なぜパニックは起こるのでしょうか?
感情のコントロールや表現が上手くないというと情緒障碍と思われるかも知れませんが、違います。これは、脳の機能不全による発達障碍が原因なのです。
つまり、何かしら感じたり考えたりした時に起こす行動に対する指令が脳から発せられても、機能障碍によって上手く伝わらなかったり、指令の処理がちゃんと行われないために起こるのです。
具体的な例としては、知的障碍の中でも(低機能)自閉症の子供は、いつもと違うことに順応しにくい傾向があるということがあげられると思います。
例えば、土曜でも日曜でも祭日でもないのに、創立記念日のために学校が休校であったりすると、どうして平日のいつもは出掛ける時間に家を出て学校へ行ってはいけないのかが理解できません。いつもと違ったことを行うことがすぐには対処できないために、学校へ行かなければならない時間なのにお母さんが行かせてくれない、と思って感情が高まってゆき、パニックを起こすのです。
あるいは、お買い物に行くときはいつも右の道を通って行くのに、「今日は向こうのスーパーが特売日だから左の道で行きましょう。」とお母さんが言っても、いつもは右の道から行くのになぜ今日は右から行けないのか分からずに、パニックを起こすのです。
上記の行動パターンでは、障碍者の脳の中に「平日→午前8時に家を出て学校に行く」、「スーパーにお買い物に行く→右の道で行く」という規則ごとやこだわりがあるからだと思われます。そして、それを純粋なまでに遂行しようとしているのに出来ないストレスがパニックとなって現われるのです。これは自閉症児によく見られる特色なのです。
では、どのように対処したらよいのでしょうか?
上記の場合では、早くから行動の変化を求める指示を与えることが有効的です。学校が休みと分かったら、毎日「○日はお休みです。学校に行きません。」と繰り返し情報を与え、脳がいつもと違う行動の処理を行うまで伝え続けます。自閉症児の場合は、聴覚よりも視覚に訴える方が情報を処理しやすい場合が多いので、変更事項を紙に書いて毎日見せながら読んで指示するのもより効果的でしょう。
また、その際の指示の仕方は、“短く・ゆっくり・はっきりと”です。たくさんの言葉で機関銃のように話しても、障碍児には理解できないどころか逆に騒音と認識されてしまう場合があるからです。
どのくらいの期間が掛かるのかは、その子によっても指示の内容によっても様々です。1〜2日で理解できる子もいれば、1週間以上続けなければ理解できない子もいます。また、前回の指示には短期間で対処できても、今回の指示にはとても時間が掛かるという場合もあるでしょう。それは、本人の意識の向いている度合いによっても違うからです。
例えば前述の休校の例で言えば、学校が何より好きな子にとっては行くことがこの上ない快感であるわけで、それを行けないというマイナスの事実を理解するには、脳が処理することを拒否するのかも知れません。
けれども学校より電車が好きな子で、休みの日には電車に乗りに行くことになっている子の場合は、学校が休校という情報を与えると、「学校が休み→電車に乗れる」という最も快感を得られる情報が伝えられることになるので、それを脳が処理するのは容易なことなのです。
以上は、ほんの一例に過ぎません。重要なのは、その子の障碍を見極め、それに応じた適切な対応をすることなのです。
知的障碍児・者は全く訳の分からない何を言っても無駄な人ではなく、訳が分かるまでに時間が掛かる人であり、訳が分かるようにするためにはその人の障碍に応じた適切な対応が必要な人と言えるのです。
そういう意味では、知的障碍児・者の抱える問題は、本人の問題というよりも周囲の理解と対応によって影響を受ける問題と言えるのです。
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