障碍を持って生まれてきたマイちゃんとのこれまで

COLUMN

天使の足跡
マイちゃんとともに…

高等部入学
 マイちゃんが高等部へ入学しました。
 小学部入学のときと同様、めでたくも彼女のお誕生日に高等部の入学式は執り行われました。
 彼女には、本当に青空と桜の花がよく似合います。その“マイ”の名の通り、桜の花が舞い散る中で出産した日が、昨日の事のように思い出されました。
 保育園、養護学校小学部、中学部、高等部と入学式を重ねてきても、親にとっての感慨はその都度深いものがあります。
 
 入学式の2日前に、本年度他校へ転勤や他学部へ異動となる先生方の離任式がありました。在校生のお母さんが、異動連絡表をFAXして下さったので、マイちゃんと指導法が不適合で、彼女が新たな発作を起こしていた昨年の担任のその先生は、今年度小学部へ異動となっていらっしゃいました。
 中学部在学中には、この件に関して対処して頂けませんでしたが、高等部入学に際しては、校長先生が配慮してくださったようでした。
 その先生の異動の文字を見たときは、本当に申し訳ない気もしたのですが、マイちゃんが失立発作で倒れることを考えると、ホッとしたのもまた本当の気持ちでした。今までにあったてんかん発作も心配でしたが、小さな発作はあるもののやっと大きな発作が落ち着いていた時期だったので、打ち所によっては命に拘る失立発作は本当に心配でしたから、これで高等部では失立発作が出ないだろうと一安心でした。
 
 さて、高等部では中学部以上に作業学習の時間が増えます。卒業後の進路を考えてのことですが、1年生のときから施設見学会や説明会、体験学習などが目白押しで、親子共に進路のことを否が応でも考えなくてはいけない状況になります。
 もちろん、高等部卒業後の行き先がないことが最大の原因ですが、そのためできるだけ早く自分の行きたい施設や作業所を決め、それに応じた対応を準備しないといけないからです。
 特にマイちゃんのような重度障碍児の卒業後の進路はとても厳しい状況で、『障害者雇用促進法』ができても知的障碍児にとっては、進路先に余裕ができたわけでは決してないのが現実です。
 (※詳しくは、エッセイの「知的障碍者の進路」をご参照ください。)
 私は、情報としてはいろいろと知っていても、それだからといって、マイちゃんに進路のために何かをさせるということには抵抗がありました。
 彼女の好きなことや興味があることが直接進路に結びついてくれれば、もちろんそれは理想ですが、進路に直接関係なくても彼女が生き生きと楽しく高校生活を送ってくれることが一番の願いですから、生涯趣味として楽しんでいけるものやそれをやっているだけで幸せを感じられるというものをこの高校生活で見つけて欲しいと思っていました。
 マイちゃんたち知的障碍児にとって、高等部の3年間は最後の学生生活となります。健常児のように大学進学という選択肢はありません。なのに人生最後の学生生活になるその期間を、卒業後の進路のことだけを考えて行動しなければならないというのは、あまりにも可哀想だと思うのです。
 けれど、現実を突きつけられると、私が思っていたようなことは、甘いことなのか、過保護の親の考えることなのかと悩みが湧いてきました。
 最後の学生生活だからこそ、今まで以上に楽しく伸び伸びとマイちゃんらしく過ごして欲しいと思う反面、やはり卒業後の進路のことも心配になります。
 その両方を得ることができる余裕のある将来があればいいのに…と夢のようなことを考えてしまいます。
 
 最後の学生生活を有意義に過ごして欲しいと思いながら、卒業後の進路という現実の課題を抱えて過ごす高等部生活に、マイちゃんにも卒業後に行く場所が見つかるのか、また彼女自身にプレッシャーが掛からないか、新たな不安を抱きながら入学式を終えた私たち家族でした。
 
更新日時:
2006.04.04 Tue.

高校時代 1
 マイちゃんが高等部に入学する前年の9月、アヤちゃんはINSのElementaryに入学しました。この年の1月にこのINSに転校していたアヤちゃんは、すっかり学校にも慣れ、お友達もできて、とても楽しんで学校生活を送っているようでした。
 家庭でも日ごとに成長を感じられるようになってきました。アヤちゃんは、本当にマイちゃんの面倒をよく見てくれます。
 朝、学校に行くとき、私がお弁当を作ったり、マイちゃんの持ち物をカバンに入れたりして登校の準備していると、アヤちゃんは自分の身支度はさっさと済ませて、マイちゃんの歯の仕上げ磨きをしたり、制服の乱れを直したり、上手く履けなかった靴下を直してくれたりしています。
 私が「ごめんね。マイちゃんの支度手伝ってくれてありがとう。」と言うと、「当たり前よ。だってマイちゃんは天使さんだからできないことがいっぱいあるのよ。その分アヤに手伝ってあげなさい、って神様が教えてくれてるのよ。」と言います。
 とても嬉しいのですが、彼女にそう言わしめるほど彼女を洗脳してしまっているのかと、自分でも悩んでしまうこともあります。
 でも彼女は、無理にそうしているのではなく、本当に自然にマイちゃんのできないことに手を貸しています。決してマイちゃんのできることまで手を出すようなことはしません。また、マイちゃんがしようとしていることは、彼女が根をあげて「して。」と要求するまで待っています。それは、親の私が学ばなくてはならないくらいです。
 ついつい私は、時間に追われたり焦ったりして待つことができません。ともすれば、時間を気にするあまり、マイちゃんのできることさえしてしまうことがあります。それではいけないと分かっていても、“つい…”を繰り返している日々です。その度にアヤちゃんには、「それは、マイちゃんが自分でできることだからママがしてはダメだよ。」って注意されるほどです。
 また、マイちゃんの言いたいことは、彼女が小さな頃私に『心の会話』を教えた当時と変わることなく、家族の誰よりも理解することができます。アヤちゃんは今でもマイちゃんの一番の話し相手です。
 生まれたときから障碍のあるマイちゃんと関わっているから自然とそのようなことができるのか、それともアヤちゃんだからできるのか、それはよく分かりません。
 でも、いずれにしてもそのように成長しているアヤちゃんを、親としてとても嬉しい気持ちで見ています。
 
 そして、アヤちゃんがElementaryに入学したこの9月は、シーちゃんとマーくんのお誕生日があり、2人は3歳になりました。
 3歳にもなると、とても大きくなったなぁと実感することが多々出てきます。
 1歳の頃はマイちゃんと変わらないくらいの語彙数だったのが、2歳には比べものにならないくらいその数は増え、3歳になったこの頃には、憎たらしい口を利くようにさえなっていました。
 マイちゃんとの関わり方も、1歳の頃はマイちゃんが頭を撫でたりするとニコニコと微笑んでいただけでしたが、2歳の頃はおもちゃを取り合って、でも力ではマイちゃんにかなわないので、思うように自分の欲しいものが得られず泣いたりしていました。それが3歳にもなると、マイちゃんが彼らのおもちゃを欲しがったりすると「マイちゃんダメ!」とマイチャンを叱ったりするようになっていました。
 言葉もできることもマイちゃんを追い越す勢いでした。
 
 2人は生まれて3ヶ月目の頃から私の実家に毎週土曜日にお泊りしていました。双子を授かったために、仕事で帰りの遅い弟にはほとんど手伝ってもらえず、平日は一人で2人の育児に追われているようなものである義妹が育児ノイローゼにならないかと私の母が心配して、週に一度土曜日だけは子どもたちを預かって息抜きさせてあげたいと言うので、土曜日は必ずマイちゃんとアヤちゃんとシーちゃんとマーくんの4人はおばあちゃん家でお泊りになっています。
 小さな頃からマイちゃんやアヤちゃんと関わってきたせいか、4人は本当に兄弟姉妹のようです。
 特にシーちゃんはアヤちゃんが大好きで、アヤちゃんと一緒のことをしたがり、同じものを欲しがり、常にアヤちゃんに付きまとっています。マーくんも他に男の子がいないせいもあり、また優しい性格のせいも相まって、いつも一緒に遊んでいます。
 マイちゃんに対してもその扱いはごくごく『普通』です。障碍があるかないかなんて彼らには関係ありません。話せなくても“それがマイちゃん”であり、彼らの中ではそれが普通で、決して『特別』ではないのです。
 だから仲良く遊んでもいますし、時にはケンカもします。それはどこにでもいる兄弟姉妹がそうするのと何ら変わりません。
 物心付く前からマイちゃんとも一緒に過ごし、またアヤちゃんのマイちゃんに対する態度を見ていて自然にそうなっていったと思いますが、私やおばあちゃんや弟夫婦が特に何を言わなくても、アヤちゃんと同じようにマイちゃんに接しています。
 
 彼らを見ていると、『障碍』に対する理解は、やはり触れ合ったり関わったりするところから始まるのだと教えられます。
 誰だって欠点や短所があるはずです。『障碍』だって、そういう意味ではその人の性格や個性と同じです。
 できないことを補い合いながら共に成長していく姿は、健常者や障碍者という枠を超えて、人と人との関わりの原点を教えてくれているように感じています。
 
更新日時:
2006.04.16 Sun.

高校時代 2 (弟家族の引越し)
 2004年12月、弟夫婦が家を新築し引っ越すことになりました。
 それまで私の家と母の家と弟夫婦の家はそれぞれが歩いて5分以内のところにありました。
 そのお陰で、平日は仕事で帰りの遅い弟の代わりに、私の母や私がまだ小さかったシーちゃんやマーくんの入浴や食事を手伝いに行くことができていました。
 そのシーちゃんやマーくんも3歳になり、マンションの最上階に住んでいた弟夫婦が階下の住人に気を遣うほど2人は元気に走り回るようになっていました。
 そこで、もう私の母や私が入浴や食事を手伝わなくても、2人も自分でできることが増えてきたこともあり、弟夫婦は思い切って家を新築したのでした。
 引越し先は、私たちの家から車で20分くらいのところです。昔からあるお屋敷町の一角で閑静な住宅街でしたので、環境的にも申し分なく、家も思った以上に広くて弟夫婦はとても満足しているようでした。
 私たちも良いところが見つかって良かったと一安心していましたが、母は少し寂しそうでした。
 それは、今までのようにもう週末にシーちゃんとマーくんがお泊りに来られなくなると思っていたからでした。
 けれど義妹は、「土曜日はここに来て今までどおりお風呂に入ったり食事させてもらうよ。シーちゃんやマーくんも今までどおりお泊りさせるよ。」と言ってくれました。
 アヤちゃんのお勉強は、彼女が生まれるまで教師をしていた私が見ていました。そして、シーちゃんやマーくんが3歳になる頃から、彼らにもひらがなや数字を教え始めていました。もちろん、まだ3歳なので“お勉強”という感じではなく、文字や数字を取り入れた遊びの中で教えていました。
 義妹は、シーちゃんやマーくんが楽しそうにひらがなや数字を覚えていることもあり、「土曜日は今までどおりお泊りに来るから、お勉強を教えてね。」と私に言ったのでした。
 また、日曜日は家族でよく出掛けていますので、実家に泊まっていることはその点でも都合が良いこともありました。
 いずれの理由にしても、母にとっては今までどおり土曜日に4人の孫が家に泊まりに来てくれるという事実は、とても嬉しいことのようでした。
 父が亡くなり、今は母の妹である叔母と一緒に住んでいますが、孫たちの賑やかな声に囲まれて過ごす週末は、母や叔母の楽しみの一つとなっていたのです。 
 義妹はまた、「シーちゃんやマーくんには心の優しい人間になって欲しいと思っているから、マイちゃんとはできるだけ身近で接していて欲しいの。それは、マイちゃんのためじゃなくシーちゃんとマーくんのためだから。」と言ってくれました。
 障碍の子がいることで、離婚する夫婦も現実にいます。けれど、私の家族は弟のお嫁さんまでマイちゃんのことを理解し、自分の子どもたちとも深く関わりを持たせようとしてくれています。本当に幸せなことだと感謝しました。
 愛情溢れる家族に育まれて、マイちゃんだけでなく、4人の子どもたちがすくすくと育っていって欲しいと、改めて願った私でした。
 
更新日時:
2006.04.16 Sun.

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Last updated: 2006/4/18

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