障碍者が持つ障碍者手帳には、身体障碍者手帳と保健福祉手帳、そして療育手帳があります。
療育手帳は知的障碍者の方に障碍の程度に応じて、重度のA判定と中軽度のB判定(自治体によってA1・A2〜B1・B2)に分けて交付されるものです。
マイちゃんの場合、私たちの住んでいる自治体が療育手帳の程度別をA・B1・B2に分けているので、このB1判定になったのです。
この療育手帳は、一度交付されてもそれが生涯に渡るわけではありません。知的障碍という性質から、成長に応じてさらに障碍が重くなったりあるいは逆に出来ることが増えて障碍が軽くなったりする可能性を秘めているからです。そのため概ね3年から5年で再び判定テストを受けてその障碍に応じて再交付されます。
マイちゃんも初めての判定ではB1という診断でしたが、現在はA判定になっています。
さて、マイちゃんの障碍を受け入れた私は、保健所でB1判定を受けた彼女の小学校をどこにするかで、9月頃から校区の公立小学校、私立小学校、養護学校でお話を聞いたり、彼女の障碍の状態をお話させて頂いたりするために何度も足を運びました。
私立の小学校では、「本校は障碍児も受け入れていますし、受験の合格ラインについても考慮しますが、一応受験して頂かないとなりません。」と教頭先生がおっしゃいました。そうしてマイちゃんの様子をみていた校長先生が、「残念ですがおそらく本校の入学は無理があるのではないかと思います。」とおっしゃいました。そしてこの私立小学校に入学している障碍児は身体障碍者の方2名とB2の判定を受けている方1名だけだと聞きました。つまり身体障碍か軽度知的障碍のお子さんだけしか入学できないようです。マイちゃんはこの時B1、つまり中度障碍なので無理なのだそうです。
私立学校なので、その学校の方針もあるためそれは仕方のないことです。ただ、「今後は中度・重度の障碍児にも出来ましたら門戸を開いて下さい。」とだけお願いして諦めました。
私立学校は校区がない分通学距離を考えないといけないので、仕事をしている私の代わりに送迎してくれる母のことも考慮した範囲で探すと他にはありませんでしたから、この時点で私立小学校はマイちゃんの進路の選択肢から消去されました。
校区の公立小学校では、最も回数を重ねてお話しに伺いました。保健所の指導員の方が、「現在のマイちゃんくらいの障碍なら公立小学校のなかよし学級と親学級を行き来する形で充分出来ると思いますよ。何より人と関わることが好きなマイちゃんなので、たくさんのお友達と触れ合えるところがいいと思います。」とアドバイスして下さっていたからです。
しかし、この公立小学校の校長先生は、ほとんど障碍児に対して無理解の方で、「今、本校にはなかよし学級に6年生と4年生の2人しかいません。お嬢さんが入学する時は現在6年生の子は卒業するのでいませんし、4年生の子は排泄も上手くできず、自分の漏らしたウンチを壁になすりつけるような子なので、近々養護学校に転校してもらうことになっているのですよ。だからお友達が好きなお嬢さんには可哀想でしょう。一人ぼっちになりますからね。」とおっしゃいました。
文章にすると感情が伝わらないかも知れませんが、その口調は明らかに障碍児を疎ましく思っていて、面倒な子は入学して欲しくないとでも言いたそうなものでした。
カチンときた私は、「公立学校なので、それでも娘をここに入学させると言えば、断ることは出来ませんよね?」と言うと、「それはそうですが、私はお嬢さんのことを考えて助言しているのですよ。」とおっしゃいました。
文部科学省では現在、LD(学習障碍)やADHD(注意欠陥多動性障碍)といった高機能障碍児を通常学級で受け入れる対策が講じられていますが、
(※詳しくはinformation「文部科学省HP」をクリックしてご参照ください)
当時はなかよし学級でさえ入学してくることを望まない学校関係者が多くいました。もちろん中には、障碍児教育に深い理解を持って大変協力的な先生もいます。あの「光とともに」の光くんが通う特殊学級の青木先生のように、とても熱心で学校の考え方を変えてしまうほどの情熱をお持ちの先生と巡り会えれば幸せなのでしょうが、私たちは違いました。
ただ、一つ付け加えておきますが、これは当時のマイちゃんの校区であるこの公立学校の校長先生や教頭先生のお話であって、現在の校長先生以下諸先生方のことではなく、あるいは現在ではとても障碍者のことを考えてくれる学校になっているかも知れません。また、そうであって欲しいです。
公立小学校に期待が持てないと悩みながら、今度は養護学校の門をくぐりました。
マイちゃんと一緒に学校に入ると、校門を抜けた途端マイちゃんは綺麗な黄金色をした砂で敷き詰められた校庭へ走って行きました。ちょうど校庭では、小学部の生徒さんが体育の授業をされていました。一般の学校のそれとは違い、何だかみんな楽しそうにほのぼのとした体育の授業風景でした。その中に彼女が走り寄ると一人の生徒さんが彼女の頭を撫でてくれました。もちろん障碍をお持ちの方ですが、見たところどこが悪いの?と思うような軽度の方でした。マイちゃんが嬉しそうにしていると、複数いらっしゃった担任の先生の一人が、「何か御用でいらっしゃったのですか?」と私に尋ねられました。私が校長先生と進路のご相談に来た旨を伝えると、「では一緒に見ておきますから、彼女が同席しなければならなくなったら呼んでください。連れて行きます。ここの方が楽しそうだから。」と言ってくださいました。障碍児を預かるというのは大変なことです。マイちゃんだけでなく、マイちゃんの行動によって他の生徒さんに何かあったら責任問題ですから、先の2校でも当然彼女を預かるなんてことはありませんでした。驚いたのと同時にさすがは障碍児のプロ、と感心しました。
それで、私は一人で校長室に行きました。出迎えられた校長先生は、前年に新築されたばかりの校舎の設備のよさを一通り説明されてから、マイちゃんの障碍について質問されました。私は彼女の出来ること出来ないこと、発達テストの判定結果のこと、保健所の指導員の方のご助言、そしてご相談に行った2校の学校とのやり取りなどをお話ししました。
私の話を聞き終えると即座に校長先生は「うちに来なさいよ。」とおっしゃいました。私が返答に戸惑っていると続けて「うちはもちろん全員障碍児ですが、軽度の子から重度の子まで様々です。でもどの子も本当に優しくて純粋でいい子ばかりなんですよ。お友達が好きならなかよし学級よりここの方がたくさんいますし、マイちゃんも楽しんで通学できるのじゃないかな。」とおっしゃいました。
そして、窓の外で先ほどの小学部の方と一緒に授業に参加させて頂いてるマイちゃんの様子をご覧になり、振り返って私に「ご覧なさい。」と窓の方に手招きされて、嬉しそうに生徒さんたちと走り回っている彼女の姿を見せました。
「彼らは本当に純粋なんですよ。なのに世間にも気を遣いながら生活しなければならない事実がある。私たち教育者ももっと社会に彼らのことを理解してもらう努力をしなければならないのに、残念ながら教育者の中でさえ彼らに全く理解のない輩がいるのは悲しいことであり、同じ教育者としてお恥ずかしい限りです。本来、障碍児もこのような養護学校に隔離されるのではなく、社会にはいろんな人がいるのだから通常学級で健常児と一緒に過ごすことの方が自然なのです。しかし、知力の遅れや体力的な問題を理由に排除している。それは健常者側の勝手な理屈に過ぎません。しかしそれが現実なのです。障碍児教育に携わり私も多くのことをここの生徒たちから学びました。自分だけが幸せなら他人はどうでもいいというこの荒廃した社会で、彼らを必要としているのはむしろ健常者側なのです。しかしそれに気付かない、いや気付いていても気付かない振りをしているのです。ただ、そうして嘆いていても仕方がありません。そのような現実を変える努力はしつつ、今は彼女が最も楽しんで且つ安心できる場所で彼女の成長を見守ってはいかがですか?」とおっしゃいました。
涙が頬を伝わっていました。前の2校では、どちらかというと彼女はお荷物扱いで、出来れば面倒な子供は遠慮したいというような感じでしたから、ご相談中も重苦しい雰囲気で、何より彼女の学校生活を中心に考えて頂けるのではなく、学校の体制の問題や教員の加配の問題や周囲の生徒の問題など、彼女が入学することによる周りの問題を考慮するばかりでしたので、マイちゃんのことを何より第一に考えて下さったことに胸が熱くなったのです。
“この養護学校に入学させよう” 私の答えは決まりました。
その夜、夫や私の両親に養護学校に入学させることに決めたことを報告しました。私の両親は予想通り大反対でした。保健所の指導員の方にも公立学校のなかよし学級と親学級で対応できると言われていたので、そうするものと思い込んでいたようです。養護学校というと相当重度の子が行くところと思っているようで、「マイちゃんはそんなに悪くない。ただ話せないだけでこちらの言うことも判るし、普通の学校でいいじやないか。」と父が言いました。
意外だったのは夫も反対したことでした。いつも家事にも育児にも協力的で、彼女の障碍のことを愚痴ることもなく穏やかで優しい人なので、世間体を気にするなんて思ってもいなかったからです。
「マイちゃんくらいなら、僕も普通校でやれると思うけど…」
私は、3校の校長先生とのやり取りとその時感じた気持ちを伝えました。
結局その場では私の考えの全ては理解してもらえませんでしたが、私が「誰からどう思われてもいいの。マイちゃんが一番楽しく通学できる学校に行かせてあげたいの。みんなは世間体とマイちゃんのどっちが大事なの?」と言ったので、それ以上誰も何も言わなくなり、それで話は終わりました。
それまで、自分の家族がこんなに世間体を気にする人たちだったなんて考えてもみませんでしたが、一般の家庭でもきっとこれが当たり前なんだろうなと改めて思いました。だからこそ、心の底にある偏見のために障碍者に理解が示せないのだろう、と思いました。
マイちゃんの進路が決まったことで、やっと落ち着いた生活に戻りました。保育所の先生や保健所の先生にも報告し、11月の入学前検診でも「要相談」という判定を頂きましたが、すでに養護学校への進学を決めている旨を伝えると了解されました。
保育所を冬休みする時期になり(保育所は基本的に働く父母のためにその不在の間育児して下さるところなので、私の各休みとともに自動的にマイちゃんも保育所はお休みとなります)、年末年始を楽しく過ごし、新学期が始まりました。
この頃には全ての進学への準備が整い、あとは保育所の卒園式、養護学校の入学式を待つばかりとなっていました。
しかし新学期が始まって間もなく、それまでの平穏な生活を一瞬にして消し去る一大事が起きたのです。
阪神淡路大震災でした。
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