穏やかな小春日和の3月下旬、マイちゃんの小学部の卒業式がありました。
校長先生から卒業証書を手渡されるとき、ちゃんと受け取れるだろうか、と心配していましたが、一応、卒業証書は受け取りました。ただ、そのときの動作は、一般的な卒業式で子どもたちが卒業証書を受け取るときのような荘厳な感じではなく、まるでお菓子か何かを貰って「ありがとう。」と頭を下げたときのように短く、アッという間に終わってしまいました。夫が撮影していたビデオには何とか収めることはできましたが、私が構えていたカメラで撮るには、あまりにも速すぎて、結局決定的瞬間を写真に残すことができないくらいでした。
この日の小学部の卒業生は5人でした。たった2人の入学式で始まった小学部生活も卒業の時には、3人のお友達が増えていました。そして、偶然にもこの年の卒業生は、全員女の子でした。
現在の小学部では、毎年10人前後の新入生が入学し、卒業していくので、この頃はちょうど知的障碍児が増え始める過渡期だったのでしょう。
※詳しくは、ESSAYの「近年の知的障碍者数の増加をご存知ですか?」をご参照ください。
さて、校長先生や来賓の挨拶を戴いて、重々しい式典が半ばに差し掛かった頃、卒業生の一人がパニックを起こしました。式典当初からそのいつもと違う雰囲気にどう対処して良いのか分からず、パニックを起こしそうな気配はあったのですが、先生方が何とか卒業式が終わるまで持ちこたえさせようと、必死になだめていたのです。でも、とうとう彼女の我慢が限界を超えたようでした。
自閉症の子どもは、いつもと違うことにすぐに順応することが苦手です。
※詳しくは、ESSAYの「知的障碍者に対する誤解と対応」をご参照ください。
けれど、1年のうちに何度かある祝日ですら“何故学校に行けないのか”と理解に苦しみパニックを起こしたりするのに、ましてや一生のうちに数度しかない卒業式に慣れろという方が無理なのです。だから私は、式典半ばまで彼女がよく耐えたと褒めてやりたいくらいでした。
一人がパニックを起こすと連鎖反応が始まります。それはまるで、赤ちゃんが一人泣き出すと周りにいる赤ちゃんも一斉に泣き始める様なものです。卒業生の座る椅子の後ろで、寝そべってパニックを起こしている子の声に刺激され、もう一人の子が奇声をあげながら、卒業生の椅子の周りに飾っていたプランターの花をひっくり返しました。そしてそれは一つではとどまらずに次々と倒されました。先生方が止める間もないアッという間の出来事でした。途端に式場は砂まみれになってしまいました。他の子も、自傷の傾向のある子は自分の頭を叩きはじめたり、椅子ごと身体をバタバタさせて大声をあげはじめたりしました。マイちゃんもその声がたまらなかったのでしょう、両耳を押さえて奇声を出していました。「うるさ〜い!!」と叫んでいたのだと思います。けれど、その声がまた他の子を刺激して…と最悪の循環方式が出来上がってしまいました。
もう、式場はてんやわんやです。パニックを起こしている子をそれぞれなだめようとする先生方、散乱したプランターの砂を大急ぎで中央から端に掻き除ける先生、その中で何事もないかのように祝辞を読み続ける来賓…。
ここまでくると、さすがに笑っちゃいました。もちろん、申し訳なさそうな顔をされている保護者もいましたが、私は「彼女たちらしい卒業式だわ。」と思わず噴き出してしまいました。他にもプッと思わず噴き出す声が漏れ、あちらこちらから笑いが起こりました。式場が一気に和んでしまいました。
儀礼的にかしこまった式ならどこでも見ることができますが、こういう卒業式は滅多と見れるものじゃないです。涙、涙の卒業式もいいですが、笑いの卒業式もまたいいじゃないですか。
これも『個性』の為せる業だと思えば、大したことはないのです。
子どもたちのパニックの中、ようやく式典が終了しました。最初にパニックを起こした子を除いて、他の子たちは少しずつ平静さを取り戻しつつありました。マイちゃんはもう何事もなかったかのように、ニコニコといつもの笑顔に戻っていました。
式典の後は、運動場に出て教職員や在校生で作られたアーチをくぐって在校生から花束を貰います。アヤちゃんがアーチの入り口で式場から出てくるマイちゃんを待っていました。マイちゃんが出てくると二人で手をつないでアーチをくぐり、花束を受け取ってアーチの出口で待っている私たちのところに来ました。このとき初めて「あぁ、小学部を卒業したんだな。」と胸がジーンとして涙が出てきました。
さぁ、4月から中学生です。学び舎は同じですが、また新たに入学式を迎えて中学部という新しい扉を開きます。マイちゃんが、どのような人生の一頁をまた増やしていくのか、楽しみでもあり不安でもある私でした。
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