障碍を持って生まれてきたマイちゃんとのこれまで

COLUMN

天使の足跡
マイちゃんとともに…

小学時代 8 (妹の英会話教室)
 アヤちゃんがINSに入園して、初日の様子を見ていた私は、彼女の英語力を早く増やしてあげることが彼女のために良いのではないかと思いました。園長先生は、「子供の語彙力は大変すばらしいもので、うちに毎日通っていれば、その内話せるようになりますよ。」と、おっしゃいましたが、“その内”という期間にも、彼女がお友達とちゃんと話すことが出来ず、自分の意思を伝えられないことによって園の生活の楽しさが半減するだろうと考えたのです。家でも英語で会話できるほど私の英語力はなく、彼女がINSという園で充実した生活を送るためには、英語力を早くつけてやることが、何よりの近道だと考えました。
 そこで、私は、2歳半の彼女に英会話をレッスンしてくれる教室を探しました。当時の英会話教室は、大抵4〜5歳からで、0歳児からクラスのある現在とは違い、2歳半の子供を受け入れてくれる教室を探すのは大変でした。
 今から3〜4年ほど前に、ゆとり教育の一環で、学校の独自の運営で自由に教育できる「総合的な学習の時間」が設けられ、多くの小学校でその時間に英語が取り入れられたことから、各英語教室も低年齢の子供のクラスをこの頃から一気に増大し始めたのですが、今から6年以上も前の当時は、0歳児クラスなんてとんでもなく、2歳半の彼女を受け入れてくれる英会話教室さえ皆無に等しかったのです。
 個人的に頼めば、外国人の先生を付けることも可能でしたが、私が教室にこだわったのは、初めての園で生活する上では集団に慣れさせることも重要なことであるため、園よりも遥かに少ない英会話の教室での時間は、彼女にとって好都合だと思ったからです。
 やっとのことで、家から車で30分くらいのところに、20年くらい前から子供英会話を専門に行っている英会話教室を見つけました。ここは、大手の英会話教室が子供英会話のセクションを独立させて運営しているところでした。大人の英会話と子供に教えるそれとは、教え方は同じではないという考えの下、大人のための英会話教室とは会社自体を分離し、20年も前から子供英会話一筋に運営してこられたそうです。また、子供の言語は出来るだけ早期から言葉のシャワーを浴びさせることで、より早い言語力が得られるとの信念の下、ここには当時の他の教室と違い、2歳児からクラスがありました。
 先に述べた「総合的な学習の時間」で英語を取り上げる小学校が増えたことから、英会話教室の需要が一気に増し、各英会話教室がこぞって低年齢のクラスを設置し始めたときに、この英会話教室のマネージャーが、「やっと時代が当社に追いついてきた感じです。」と、おっしゃっていたのが印象的でした。この教室も今では0歳児からクラスがあります。
 
 ようやくアヤちゃんを通わす英会話教室が見つかりましたが、その先生の選択ではまた問題が浮上しました。私は、彼女のクラスに、外人の先生のグループレッスンを希望していました。この教室で、園での集団生活のミニチュア版を体験させることによって、英会話の向上と集団生活への慣れを期待してのことでした。しかし、この教室では、日本人の幼い子供が戸惑わないように、まず日本人教師のレッスンを取った上でないと、外国人教師のクラスを取ることはできないというシステムになっていたため、外国人教師クラスのみを取りたいと言っても希望に添えないと言われました。しかし、アヤちゃんがINSに通っているため、外国人の先生のクラスの方が良いという私の主張に、当時のマネージャーが本部に連絡を取ってくれました。本部の回答は、今までINSに通う子供さんがこの教室に来たことはなく、あくまでも日本人の子供さん対象に行っていたのでこのようなシステムであったけれど、INSに通っているということを考えれば、私の希望も最もな事だと理解を示して下さり、当時の特例として外国人教師のクラスでレッスンを行うことを了解して下さりました。“当時の”と但し書きをしたのは、入会希望される保護者からも外国人教師のクラスでレッスンして欲しいという声が多く寄せられたり、他の駅前留学のフレーズで有名な某英会話教室が、外国人教師のレッスンを売りにした子供クラスの開講を始めたりしたため、その後、保護者が選択すれば、外国人教師のクラスのみでも受講できるようになったからです。
 
 兎にも角にも、アヤちゃんは、無事にこの英会話教室の外国人教師クラスで受講することになり、INSの幼稚園が終わった後で、週に2回この教室に通うことになりました。
 
更新日時:
2006.03.06 Mon.

小学時代 9
 マイちゃんが6年生になりました。アヤちゃんがINSの幼稚園と英会話教室に通い始めて、6ヶ月が経っていました。
 私もマイちゃんとアヤちゃんが学校と幼稚園に行っている間に、英会話を習い始めました。既に頭の硬くなっている私の英会話力の進歩はイマイチですが、子供の語彙の吸収力は本当に驚異的で、半年も経つと、彼女は簡単な日常会話を話すことが出来るようになっていました。他のお友達とも難なく会話を楽しんでいました。
 
 さて、INSの園の行事は、日本のそれよりもたくさんありました。もちろん外国式のため、アヤちゃんが今まで経験したことのないイベントが目白押しでした。
 入園してすぐにあったのがハロウィーンのパーティで、仮装には大好きなプリンセスのドレスを着ました。「trick or treat」と言いながらお菓子を貰っている様子は、とても楽しそうでした。
 次にあったのがクリスマスパーティで、キリスト生誕の場面を子供たちが歌劇で発表し、親たちは自分で焼いたケーキやお寿司、サンドイッチなど食べ物を持ち寄って、子供たちの発表の後にパーティが催されました。私にとって外人の保護者と話すのは冷や汗ものでしたが、とても和やかなパーティでした。
 そして、次にあったのが「Setsubun」と「Girls Party」、日本の節分祭とひな祭りです。日本に学校があることから、日本の善き伝統行事も取り入れていました。 先生方は、外国人の子供たちにもその成り立ちを教えていらっしゃいました。
 それからその後に、キリスト教徒にとって最も大切な「イースター祭(復活祭)」がありました。初めてのイースター・エッグ作りには、親も子も悪戦苦闘でしたが、とても美しいエッグが出来上がりました。
 園長先生は、各行事のときには必ず私に「マイちゃんも連れてきなさい。」と言ってくださいました。マイちゃんの学校があるときは無理なのですが、INSは12月中旬からはクリスマス・ブレイク(日本の冬休み)に入ってしまうため、クリスマスパーティは12月の第二土曜日に行われていたので、マイちゃんも学校がお休みだったので連れて行きました。
 マイちゃんも初めての英語ばかりの中で驚いていたようですが、私が園長先生にマイちゃんを紹介すると、園長先生は突然マイちゃんにハグして下さいました。そして彼女をとても歓迎して下さって、他のお母様方にも紹介すると、そのお母様方も次々にマイちゃんを抱きしめて下さったのです。そして、一人のイギリス人のお母様が、「彼女のように障碍を持つ子というのは、神様からの授かり物なのよ。神様のご意思で、彼女を通して周りの人間に多くのことを教えようとされてるの。そして、その親として任命されたあなたは、神様に選ばれた人なのよ。すばらしいことだわ。」と言って下さいました。私は、その言葉に涙が溢れました。そして、INSをアヤちゃんの幼稚園に選んで本当に良かったと思いました。周りのそのような考えは、必然的に彼女の思考に影響を与えるはずだからです。
 
 そのお陰か、アヤちゃんは本当にマイちゃんと仲が良く、あの『心の会話』をしていた幼い頃と変わらぬ様子で、マイちゃんと関わっていました。そして、この頃から「マイちゃは天使なのよ。」とよく言うようになっていました。園でも先生方が、そう教えて下さったそうです。
 私にとっては二人とも天使です。でも、アヤちゃんがマイちゃんを大切に想ってくれることの一つの表現が、『天使』なのだろうと思います。
 私は、このまま彼女の想いがいつまでも変わらないように、と願っていました。
 
更新日時:
2006.03.15 Wed.

小学部卒業
 穏やかな小春日和の3月下旬、マイちゃんの小学部の卒業式がありました。
 校長先生から卒業証書を手渡されるとき、ちゃんと受け取れるだろうか、と心配していましたが、一応、卒業証書は受け取りました。ただ、そのときの動作は、一般的な卒業式で子どもたちが卒業証書を受け取るときのような荘厳な感じではなく、まるでお菓子か何かを貰って「ありがとう。」と頭を下げたときのように短く、アッという間に終わってしまいました。夫が撮影していたビデオには何とか収めることはできましたが、私が構えていたカメラで撮るには、あまりにも速すぎて、結局決定的瞬間を写真に残すことができないくらいでした。
 この日の小学部の卒業生は5人でした。たった2人の入学式で始まった小学部生活も卒業の時には、3人のお友達が増えていました。そして、偶然にもこの年の卒業生は、全員女の子でした。
 現在の小学部では、毎年10人前後の新入生が入学し、卒業していくので、この頃はちょうど知的障碍児が増え始める過渡期だったのでしょう。
 
 ※詳しくは、ESSAYの「近年の知的障碍者数の増加をご存知ですか?」をご参照ください。
 
 さて、校長先生や来賓の挨拶を戴いて、重々しい式典が半ばに差し掛かった頃、卒業生の一人がパニックを起こしました。式典当初からそのいつもと違う雰囲気にどう対処して良いのか分からず、パニックを起こしそうな気配はあったのですが、先生方が何とか卒業式が終わるまで持ちこたえさせようと、必死になだめていたのです。でも、とうとう彼女の我慢が限界を超えたようでした。
 自閉症の子どもは、いつもと違うことにすぐに順応することが苦手です。
 
 ※詳しくは、ESSAYの「知的障碍者に対する誤解と対応」をご参照ください。
 
 けれど、1年のうちに何度かある祝日ですら“何故学校に行けないのか”と理解に苦しみパニックを起こしたりするのに、ましてや一生のうちに数度しかない卒業式に慣れろという方が無理なのです。だから私は、式典半ばまで彼女がよく耐えたと褒めてやりたいくらいでした。
 一人がパニックを起こすと連鎖反応が始まります。それはまるで、赤ちゃんが一人泣き出すと周りにいる赤ちゃんも一斉に泣き始める様なものです。卒業生の座る椅子の後ろで、寝そべってパニックを起こしている子の声に刺激され、もう一人の子が奇声をあげながら、卒業生の椅子の周りに飾っていたプランターの花をひっくり返しました。そしてそれは一つではとどまらずに次々と倒されました。先生方が止める間もないアッという間の出来事でした。途端に式場は砂まみれになってしまいました。他の子も、自傷の傾向のある子は自分の頭を叩きはじめたり、椅子ごと身体をバタバタさせて大声をあげはじめたりしました。マイちゃんもその声がたまらなかったのでしょう、両耳を押さえて奇声を出していました。「うるさ〜い!!」と叫んでいたのだと思います。けれど、その声がまた他の子を刺激して…と最悪の循環方式が出来上がってしまいました。
 もう、式場はてんやわんやです。パニックを起こしている子をそれぞれなだめようとする先生方、散乱したプランターの砂を大急ぎで中央から端に掻き除ける先生、その中で何事もないかのように祝辞を読み続ける来賓…。
 ここまでくると、さすがに笑っちゃいました。もちろん、申し訳なさそうな顔をされている保護者もいましたが、私は「彼女たちらしい卒業式だわ。」と思わず噴き出してしまいました。他にもプッと思わず噴き出す声が漏れ、あちらこちらから笑いが起こりました。式場が一気に和んでしまいました。
 儀礼的にかしこまった式ならどこでも見ることができますが、こういう卒業式は滅多と見れるものじゃないです。涙、涙の卒業式もいいですが、笑いの卒業式もまたいいじゃないですか。
 これも『個性』の為せる業だと思えば、大したことはないのです。
 
 子どもたちのパニックの中、ようやく式典が終了しました。最初にパニックを起こした子を除いて、他の子たちは少しずつ平静さを取り戻しつつありました。マイちゃんはもう何事もなかったかのように、ニコニコといつもの笑顔に戻っていました。
 式典の後は、運動場に出て教職員や在校生で作られたアーチをくぐって在校生から花束を貰います。アヤちゃんがアーチの入り口で式場から出てくるマイちゃんを待っていました。マイちゃんが出てくると二人で手をつないでアーチをくぐり、花束を受け取ってアーチの出口で待っている私たちのところに来ました。このとき初めて「あぁ、小学部を卒業したんだな。」と胸がジーンとして涙が出てきました。
 
 さぁ、4月から中学生です。学び舎は同じですが、また新たに入学式を迎えて中学部という新しい扉を開きます。マイちゃんが、どのような人生の一頁をまた増やしていくのか、楽しみでもあり不安でもある私でした。
 
 
 
更新日時:
2006.03.15 Wed.

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Last updated: 2006/4/18

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