障碍を持って生まれてきたマイちゃんとのこれまで

COLUMN

天使の足跡
マイちゃんとともに…

中学部入学
 マイちゃんが中学生になりました。麗らかな春の日に真新しい制服に身を包み、校門をくぐる姿が少しお姉ちゃんらしくみえました。
 中学部の入学式には、小学部の同級生の5人のお友達に加え、小学校はこの養護学校以外に通っていた生徒さんが10人以上も入学され、たくさんのお友達と一緒でマイちゃんはとても嬉しそうでした。
 マイちゃんの学年は2クラスになりました。新しいお友達と新しい先生、校舎は小学部の時と同じですが、階が変わって何となくそこも今までとは違って見えました。
 知的障碍児の中でも自閉症の子どもは、変化にすぐに順応することが苦手です。
 (※詳しくは、エッセイの「知的障害者に対する誤解と対応」をご参照下さい。)
そのため、新しい環境に戸惑いパニックを起こす生徒さんもいました。
 マイちゃんはというと、さっそく隣に座ったお友達に何かしら関わりを持とうとちょっかいを出していました。でも、お隣に座ったお友達は一生懸命本を見ていましたので、マイちゃんのことは眼中にない、という感じでした。たぶんそのお友達の大好きな本だったのかも知れません。そのうちマイちゃんは、その子を諦めて、今度は反対側のお友達にちょっかいを出し始めていました。懲りない奴です。でも、マイちゃんはそれくらい人と関わることが大好きなのです。
 
 この年から、今までは往復ともバス通学をしていたのですが、往路だけ私が送って行くことになりました。在校生の増加に伴いバス通学の人数も増えたため、バスの巡回コースが今までとは変わってしまい、この養護学校の校区では西端に当たる我が家が使うバス停には、バスの到着予定時刻が今までより30分近くも遅くなってしまったためでした。その結果、アヤちゃんを幼稚園に送っていくために家を出発しなければならない時間より遅くなってしまったのです。バスの巡回コースを変更せざるを得ないくらい、生徒の数は膨れ上がっていたのです。
 (※エッセイの「近年の知的障害者数増加をご存知ですか?」をご参照ください。)
 それで、入学式の翌日から毎朝、車でアヤちゃんを幼稚園に送り、その後マイちゃんを学校に送って行くことになりました。
 マイちゃんと一緒に車に乗って行けるとアヤちゃんは大喜びでしたが、マイちゃんはバスでお友達と一緒の方がいいらしく、あまり嬉しくはないようでした。それでも、「帰りはバスに乗れるからね。」と言うと、嬉しそうに「アーイ。」と返事していました。
 
 中学部に入ると、授業の中で作業学習という時間が増えます。
 学校を卒業した後に彼らが行くのは、おおまかに分けると、市の募集する障害者枠や一般企業の障害者枠での就職、あるいは小規模作業所や更生施設、授産施設ですが、 (※詳しくはエッセイの「知的障碍者の進路」をご参照ください。)
その仕事内容は軽作業が中心となるため、中学部から紙すきや窯業、さをり織り、また、石鹸製作や農作業など、いろいろな作業を経験していきます。
 マイちゃんはこの年、さをり織り班に所属することになりました。さをり織りの機械を触ったこともないマイちゃんが、上手に織れるようになるのか、また集中して織っていくことができるのかとても不安でしたが、でも多くのことを経験させないと、彼女に何が向くのかも分からないので、「頑張って。」と心の中で祈っていました。
 
 小学部とは違った授業内容にちゃんと順応していけるのか、多少の不安を抱きつつも、新しいことが出来るようになって欲しいという期待を掛けている私を横目に、相変わらずお友達との関わりを求める方が忙しいという感じのマイちゃんでした。
 
更新日時:
2006.03.18 Sat.

中学時代 1
 マイちゃんの中学生の生活が始まりました。
 小学部の時と校舎は同じですが、階が変わります。彼女の通う養護学校は、小学部から高等部まであるので、1階に小学部、2階に中学部、3階に高等部のクラスが置かれています。学部ごとに階が上がるのは、子どもの体力を考えてのことだろうと思うのですが、子どもの学部が上がるということは、それに応じて親の年齢も上がるわけですから、授業参観や懇談会など、階段を上がってクラスへ行くときには年々息が切れ、自分の歳を痛感してしまうことにもなっています。(笑)
 
 さて、マイちゃんのクラスは彼女を含めて8人の生徒さんがいました。小学部から一緒に進級したお友達と新たに入学してこられたお友達がいました。小学部の時は学年が1・2年、3・4年、5・6年の3クラスに分かれていましたが、中学部は学年ごとにクラス分けされて、しかも2クラスになっています。彼女のお友達の数はとたんに増えました。担任の先生は4人で先生方の顔ぶれも一新しました。
 マイちゃんは、4月、5月、10月11月に発作がよく起こりました。それ以外は、お薬のせいか落ち着いてあまり大きな発作を起こさなくなっていましたが、この4つの月はまだ発作が起こっていました。
 4月、5月は、新しい環境・新しいお友達・新しい担任、と新しいものだらけの中でやはり緊張が続くようで、彼女が慣れるまでに時間が掛かるからだと思われます。10月と11月は、運動会や音楽会があり、覚えなくてはいけないことが山盛りで、まして体力的にもきついようで、疲れから発作が出るようでした。だからこれらの月は彼女にとって要注意月なのです。
 もう既に知ったお友達が多く、学年が変わってもそんなに急激な変化は無いと思われる小学部時代でも、やはり彼女が慣れるまでは発作を起こしていたので、新しいものだらけになった中学部の当初は、例年以上に注意が必要と思われました。医師にも「疲れが出ると発作を起こす要因になるので、無理をさせないように。」と言われていました。
 ただ、体調不良になっても、彼女は言葉で告げることが出来ないので、私が彼女の様子をよく見て体調を管理してやらないとなりません。そのため、無理に登校させると学校で発作を起こす可能性がありましたので、朝しんどそうにしていると心配になり、ついつい欠席が増えるのもこの時期でした。
 
 やはり、中学部に入学してからもしばらくは体調が心配で、よく欠席しましたが、しかし、大きな発作は起こすことなく過ごしたのです。代わりに一瞬意識がなくなり、手足をねじって麻痺を示す状態を起こす小さな発作は起こっていましたが、それは自分で分かるらしく、小さな発作が起こる直前にしゃがみこんだり壁に寄りかかったり、机や椅子につかまったりして倒れるのを自分で回避していました。小さな発作はわずか数秒で、その後は何事もなかったかのように復活します。
 医師に相談したところ、大きな発作はお薬で抑えられているけれど、それ以上に刺激や緊張があると、脳が処理できなくなって小さな発作が起こっているのだろうということでした。症状は貧血による立ちくらみやめまいでフラッとなるのとよく似ていましたが、一番違うのは一瞬の手足の麻痺です。その一瞬の手足の麻痺から、貧血による立ちくらみやめまいとは違い、やはり脳的な発作であることは間違いないそうです。
 しかし医師は、「でもお母さん、それだけマイちゃんの体力が付いてきたとも言えるのですよ。マイちゃんの身体がまだ体力的に不十分だと、脳的な発作である以上、大きなひきつけの発作を起こすことも考えられます。もちろんお薬がマイちゃんの身体に合っているということもありますが、それでも小さな発作が起こる直前には自分で何かにつかまって倒れるのを防ごうとしているのは、脳的に限界を超えたいろいろな刺激によって起こる発作に対して、別の脳的な処理がしっかりと働いているからなのです。これは、彼女の体力的にも脳的にも成長している証ですよ。」とおっしゃいました。
 大きな発作にせよ、小さな発作にせよ、発作があること自体が心配で、マイちゃんの身体のそんな成長なんて考えてもいませんでしたが、彼女の脳内では、一方では限界を超えて発作を起こそうとしながら、他方ではその発作から身を守ろうとする処理も行えるようになっていたのです。彼女は彼女なりの成長を続けていたのです。
 
 これ以降、彼女は大きな発作を起こすことなく、小さな発作を自分でかばいながら注意月も乗り越えていけるようになりました。大きな発作が抑えられているといえども小さな発作は依然としてあり、発作がなくなったのではないので、心配がなくなったわけではありませんが、その発作に対しても自分で乗り越えられるようになった彼女は、中学部の新しい課題にも少しずつ乗り越えていけるようになるのでは…と期待を持てる出来事でした。
 
更新日時:
2006.03.22 Wed.

中学時代 2 (妹の転校)
 マイちゃんが中学部2年生になった2002年9月、アヤちゃんがKindergartenからPre Schoolerになりました。日本の幼稚園でいう年長組さんです。来年は小学生ということで、Pre Schooler にはそれまでのお歌やお絵かきに加え、多少のお勉強が導入されます。具体的には、英語のフォニックスや数字のお勉強です。
 ただ、このKindergarten はこのときはまだKindergarten のみしかなく、それ以降のElementary schoolもJunior high school もありませんでしたから、 その後の学校をどうしようかと悩んでいました。(この Kindergarten も現在は、Elementary School が別校舎で設置されています。)
 ちょうどその頃、新しいINSが開校されることを聞きました。Kindergarten からElementary School まで開校され、将来的にはJunior High School 、High School と開校する予定とのことでした。私は、ダメもとで面接を受けてみることにしました。
 この学校は、もともと日本に住むドイツ人の子どものために開校されていたドイツ学校でした。けれど、地震のために格段に減ってしまった外国人に比例して在日ドイツ人も減少し、さらにドイツ政府からの援助も削減されている状態だったために、学校存続のためINS部が併設されることになったそうです。
 すでに私がこの学校のことを聞いたときは、INS部が開校されている11月でしたが、とりあえずお電話をして、Interview していただきたい旨を伝えました。お電話に出られた校長先生は、現段階の日本人枠予定人数は定員が埋まっていることをお断りされた上で、一応、Interview だけはしましょうとおっしゃいました。
 
 11月中旬の約束の日に、私とアヤちゃんはこの学校にInterview に行きました。
 校長先生が簡単な自己紹介をされた後再び、現段階では日本人枠の空きがなく、入学許可をしてもwaiting listに載せるだけで、すぐに入学はできないことをお断りされました。私はそのことを了解し、とりあえずInterview をして頂きました。
 INSとは、もともと日本に在住する外国人の子どものための学校です。両親ともに日本人の日本国籍の子どもが入学するのですから、定員枠があるのは当然のことですし、私たちが無理を言っていることは承知の上のことですから仕方ありません。
 Interview では校長先生はまず、アヤちゃんに英語で話しかけられ、彼女の英会話力を試されたようでした。アヤちゃんも少し緊張していましたが、それでも校長先生の質問にも答えて、最後には校長先生のジョークに大笑いしたりしていました。
 それから校長先生は、私になぜ日本人なのにINSに入学させたいのかを質問されました。私は、アヤちゃんの姉であるマイちゃんが障碍を持っていること、また障碍教育に関して日本の学校が立ち遅れていること、そして何より姉妹の関係が今とても良く、アヤちゃんの思考においてこの先も障碍者と当たり前に関われる人間に育てたいので、そのような環境の学校に入れたいと思いINSを希望し、現在もINSのKindergarten に通わせていること、しかしそこはElementary がなく、出来たらこの学校のKindergarten に編入してそのままElementary に進学させたいと思っていることをお話しました。
 すると、私のつたない英語での説明にも関わらず校長先生は、「私は、INSに入学するのはやはり基本的には外国人の子どもだと思っています。しかし、現在では多くの日本人の方も入学を希望されるので、とりあえず日本人枠を設け、入学定員枠を超えた方にはwaiting してもらっている状況です。単に英会話教室に通うような感覚で入学される方には、正直申し上げてご遠慮願いたいと思っています。しかし、あなたのようにその理由がINS入学を必要とすると思われる方には、私の方が是非入学して頂きたいと願います。」とおっしゃいました。
 「でもwaiting list があるのですぐには入学できないのですよね? いつ頃なら入学の見込みがあるのでしょうか? また例え入学が許可されても、彼女の英語力でやっていけるのでしょうか?」と私が問うと、校長先生は、「waiting list は決して早いもの順ではありません。外国籍の者なら無条件に入学させるのと同様に、この学校に入学させることが必要であると思われる人は、いくらwaiting list に多くの人が名を連ねていても、その順に関係なく入学を許可する権限を私は持っています。また、彼女の英語力は充分このINSへの入学のレベルを満たしているのでご心配ありません。」とおっしゃいました。
 そして、学校運営の委員会(つまり日本の私学校の理事会のようなもの)に入学許可を諮って、できるだけ早い次期に入学できるように手配します、と約束して下さいました。
 私は、Interview だけ受けてwaiting list に載せてもらえればラッキー、くらいに考えていたので、入学を許可されたことにとても驚きました。もちろん、校長先生との会話に緊張しながらもちゃんと返答できたアヤちゃんの英語力もあったからですが、障碍児を抱える親の気持ちを充分に理解して下さった校長先生に感謝の気持ちでいっぱいでした。
 
 それから、翌月の12月上旬に校長先生から、1月から入学できることになったこと、翌週にX'ms Market があるので、是非マイちゃんも連れてみなさんでいらっしゃい、というお電話を頂きました。校長先生は、約束どおり委員会にアヤちゃんの入学を諮ってくださり、入学が許可されたのでした。
 招待いただいたX'mas Market にアヤちゃんとマイちゃんと私と母で行きました。
 来月からアヤちゃんがこの学校に入学できるのだ、と思うと、先日Interview で来たときよりはるかに素晴らしい学校に見えました。
 
 アヤちゃんの入学が許可されたことで一安心するとともに、12月のクリスマスブレイク(冬休み)に入るまでに、通っていたKindergarten の退学手続きを執り、新しい学校への入学手続きの書類を揃えるために役所に行ったり健康診断のための病院に行ったりと、慌しく走り回る年末になりました。
 しかし、アヤちゃんの小学校がすでに決まったことで、私は安堵の気持ちで新しい年を迎えることが出来たのでした。
 
更新日時:
2006.03.26 Sun.

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Last updated: 2006/4/18

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