我が家の家族は、とても仲が良いです。
私の家と私の両親の家、そして弟の家がそれぞれが歩いて5分以内にあるということも関係していましたが、私たち家族4人と父母と叔母、私の弟夫婦の9人は、特に用事がある日以外は、週末には実家に集まって皆で夕飯を食べ、外へ食事へ行くのも旅行に行くのも行楽に行くのも何処へ行くのも大抵一緒でした。
弟夫婦は1993年に結婚しましたが、弟のお嫁さんとはマイちゃんの生まれる前からの付き合いだったので、彼女もマイちゃんのことをとてもよく理解してくれて、かわいがってくれます。もちろん悪いことをしたときには叱りますし、良いことをしたときは抱きしめて誉めてもくれます。まるで本当の娘のように関わってくれるので、マイちゃんも弟夫婦が大好きです。
弟夫婦は、マイちゃんとの関わりをみていても子どもが本当に大好きでした。けれど、まだ彼らには子どもがいませんでした。望んでいても出来なかったのです。赤ちゃんが欲しいと願えば願うほど、皮肉なものでできないものなのでしょうか。
結婚した当初は誰でも経験があると思うのですが、「赤ちゃんはまだ?」と周囲からよく言われます。周囲は“結婚したら次は赤ちゃん”と深い意味もなく、本当に何気なく、きっと挨拶がわりで言っているだけなのでしょう。結婚して1〜2年で子どもを授かったり、子どもを作らないようにしているDINKS夫婦なら、そう言われても大して気にもしないでしょうが、“赤ちゃんが欲しい欲しい”と思いながら何年も出来ない夫婦にとって、この周囲の無責任な言葉は、どれほど当人たちにプレシャーを与え、心を傷つけていることか。
私もそうでしたから、弟夫婦の気持ちは痛いほどよく分かりました。
マイちゃんに兄弟姉妹が欲しいと強く願えば願うほど、思いが強ければ強いほど、流産ばかりで悲しい思いをしてきました。
流産が分かって病院で処置をし、落ち込んだ気持ちで帰宅する途中に、近所の人から「マイちゃんも大きくなったね。早く次の子を作らなあかんよ。一人だったらマイちゃんも寂しいよ。」と言われたことがあります。
赤ちゃんが欲しい気持ちは人一番あって、なのに流産ばかりで『もう赤ちゃんは出来ないのだろうか』と誰よりも心が傷ついているときに、無責任な言葉を言われ涙をこらえるのに必死だった記憶があります。
やっと私が周囲のその無責任な言葉から解放されたのは、次女のアヤちゃんを授かったときでした。
だから私たち家族は、弟夫婦に赤ちゃんのことは言いませんでした。きっと義妹もいろんなところで言われた心無い言葉に傷ついていたはずです。でも私たちが何も言わなくても、私にアヤちゃんができたときは、義妹に相当なプレッシャーを与えていただろうと思います。
マイちゃんとアヤちゃんの面倒もよくみてくれる弟夫婦には、既にお母さんとお父さんになる資質は充分に備わっていました。そして、誰よりも赤ちゃんを望んでいることを知っている私たちは、どうぞ弟夫婦のために赤ちゃんが授かりますようにと、祈るだけでした。
その祈りが通じたのか、アヤちゃんが生まれてから4年後の2001年、義妹のお腹に待望の小さな命が宿りました。しかも双子とのことでした。弟夫婦の喜びようは口では言い表せないものでした。私たちもとても嬉しかったのを覚えています。まだ赤ちゃんが生まれた訳ではないのに、お祝いのパーティをしたほどですから。
そして、その年の9月、無事に赤ちゃんが生まれました。双子の内、一人は女の子で一人は男の子でした。
私の父は、初めての男の子の孫の誕生に大喜びしていました。
弟夫婦は、この愛しい2人の我が子に『シホ』・『マサシ』と名づけました。
マイちゃんは、2度目の小さな命の誕生に関わり、嬉しそうに赤ちゃんの頭を撫でていました。
義妹は、出産後の女性の大半がするように、赤ちゃんを連れて里帰りしました。
私たちは、双子ということもあり、きっと長期里帰りになるだろうと思っていました。
しかし、予想に反して、義妹は1ヶ月足らずで赤ちゃんとともに帰ってきました。
義妹の実家には、シーちやんとマーくんの生まれる2ヶ月前に生まれた赤ちゃんとともに妹さんが里帰りしていたので、義妹の家族は、新生児3人の面倒を見なければならずてんやわんやの状態で、義妹もゆっくり産後の休息をとるどころか、動き回らないといけない状況だったそうで、早々に退散してきたそうです。
それで、私の母は、家が近いということもあり、毎日食事を持って行ったり、帰宅時間の遅い弟の代わりに入浴を手伝ったり、週末には赤ちゃんたちを実家に泊めて弟夫婦を援助していました。
私たち家族の心配は、双子の育児に義妹がノイローゼ状態にならないようにということだけでした。だから、家族でできることは皆で協力していたのです。
家族の協力は、弟家族が家を買って引っ越すことになる、シーちゃんとマーくんが3歳のときまで続いていました。
けれど週末の2人のお泊りは、今も続いています。だから我が家の週末は、マイちゃんとアヤちゃんとシーちゃんとマーくんの賑やかな声に包まれ、実家はさながら託児所状態です。
このお陰で家族の繋がりはさらに強くなり、以前と変わることなく何処に行くのも一緒に行動しています。
この家族の体系は、人が大好きなマイちゃんにとってもとても幸せな環境です。そして、マイちゃん以外の子どもたちにとっても障碍のあるマイちゃんと当たり前に関わることは、その中で弱い立場の人に対する思いやりや対応の仕方などを自然に学ぶことができる機会となっています。
口でうるさく言わなくても、実際のマイちゃんとのやりとりの中で、どのようなときにどうすればいいかや障碍があっても一緒という感覚やできないことをできる人がするということを自分たちで習得しているのです。
このことからも、障碍児・者と実際に関わることの大切さを実感している私たちでした。
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